「西洋美術の歴史」要約メモ #4 第2巻第Ⅱ部(第4~7章)
西洋美術の歴史2 中世I - キリスト教美術の誕生とビザンティン世界
- 作者: 加藤磨珠枝,益田朋幸
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2016/12/07
- メディア: 単行本
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第4章 ビザンティンとは何か
単純に定義づけたビザンティンは,330年の帝都がコンスタンティノープルに移って以来,1453年に滅亡するまでの(東)ローマ帝国を指す。オスカー・ワイルドや和辻哲郎によるビザンティンの印象は「東洋的」である点に注目。
ビザンティン美術は古代ギリシャの自然主義的造形と,キリスト教による神の超越性をあらわすための2次元性との,相矛盾した2つの傾向をもつ。歴史観について西欧では発展史観を持つのに対して,ビザンティンでは下降史観を持つ。
ビザンティン美術は大きく3つに区分される。まず,726年から843年にかけて起きたイコノクラスムを境に,前を「初期」,後を「中期」とする。次に,1204~61年のラテン帝国の期間を境に,前が「中期」,首都奪回から1453年のオスマン帝国による陥落までを「後期」とする。ビザンティン美術の特異な点として,政治社会との動き以上に教会典礼の影響が大きいことがあげられる。
第5章 哀しみの美術
キリスト教をユダヤ教,イスラーム教と比べたとき,「受肉論」「両性論」が特色として浮かび上がる。例えば受胎告知や降誕に受肉の教義が現れる。
神殿奉納は初期キリスト教時代から図像化されたモチーフであり,受難を予告する。例えば,聖エカテリニ修道院保管されている「キコティッサの聖母」では,キリスト受難の予告とマリアの哀しみが人物のネットワークを通して示される。
「イコンとナラティブ」という対概念について,「イコン」は物語性のない正面向きの図像,「ナラティブ」は物語に基づく図像を指す。イコンはヨーロッパへと広まり,やがて「イマーゴ・ピエタティス」という形で受容される。
「受難の聖母」は受肉と受難との2つのモチーフを結びつける。イコンとしては12世紀後半の「ウラジーミルの聖母」が有名である。ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチなど,後年の画家も受難の聖母を好んで用いた。
11世紀後半には「受難の聖母」と並行して「聖母の嘆き」がみられるようになる。聖パンテレイモン修道院のフレスコには,マリアの号泣が描かれており深い嘆きが読み取れる。
「受肉」「贖罪」という教義の強調が,ビザンティン美術の「哀しみ」の根源であると著者は考察する。
第6章 イコノクラスム
イコノクラスムは2回起きたとされる。最初のイコノクラスムは730年,皇帝レオン3世によるものであり,イコン信仰の土俗化や政治的不安によるものと解釈される。787年の第2ニケア公会議により最初のイコノクラスムは終結する。2回目のイコノクラスムはレオン5世により815年に始まり,後の皇帝テオフィロスの妻テオドラにより843年に終結する。
イコノクラスムの期間にはイコンの是非について盛んに議論された。イコンの擁護派としては,ダマスコスのヨアンニスとストゥディオスのテオドロスが有名である。ヨアンニスは,神に対する礼拝と聖者や聖遺物に対する崇敬を区別した上で,前者のみでなく後者も認めた。テオドロスは,キリスト自らの意思で現世に輪郭を引いたことを恩寵ととらえることで擁護した。
第7章 写本挿絵
古代の書物はパピルスによる巻子本であったが,4世紀を境に羊皮紙を用いた冊子本に移行していった。「ウィーン創世記」には,貝のプルプラからとった赤紫色の染料で染められた羊皮紙が用いられたとされる(紫羊皮紙写本)。冊子の「神とヤコブの格闘」という挿絵には異時同図法がみられ,ヤコブが3度現れている。「ロッサーノ福音書」も紫羊皮紙写本であり,4つの福音書がまとめられている。ここでは旧約との予型論的対応が強調されている。
「パリ詩篇」は代表的な貴族詩篇であり,「堅琴を弾くダヴィデ」が巻頭に描かれている。擬人像からは古代絵画からの影響がみられる。「ヨシュア画巻」では,ヨシュアの活躍を皇帝と重ね合わせるさまがうかがえる。一方で,「テオドロス詩篇」は修道院詩篇の代表例である。周りを囲む挿絵は,七十人訳聖書の詩篇71の文章と呼応して配置されている。
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