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「西洋美術の歴史」要約メモ #12 第6巻 序章,第1章 イタリアとスペインのバロック美術,第3章 17世紀ネーデルラントの美術

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第6巻の概要

 

西洋美術の歴史6 17~18世紀 - バロックからロココへ、華麗なる展開

西洋美術の歴史6 17~18世紀 - バロックからロココへ、華麗なる展開

 

 

目次

序章

  1. ジョセフ・ライト・オブ・ダービーの《太陽系儀について講義する科学者》ー科学を礼賛する絵画から時代を振り返って
  2. バロックと古典主義
  3. 古典主義からロココ新古典主義

第1章 イタリアとスペインのバロック美術

  1. カトリック改革と美術
  2. カラヴァッジョとカラッチの改革
  3. ローマ・バロック
  4. イタリア諸都市のバロック美術
  5. スペインのバロック美術

第2章 フランスのバロックと古典主義

  1. アンリ4世の都市整備と美術政策
  2. マリー・ド・メディシスの摂政時代
  3. ロレーヌ地方の画家たち
  4. ルイ13世の時代ー文化活動の中心地として力を増してきたパリ
  5. フランス古典主義の展開
  6. アンヌ・ドートリッシュの摂政時代と宰相マザラン
  7. ルイ14世の親政時代
  8. 王立絵画彫刻アカデミーでの色彩論争

第3章 17世紀ネーデルラントの美術

  1. オランダ共和国と南ネーデルラント(フランドル)への分裂
  2. サーンレダムの教会内観図
  3. テル・ブルュッヘンとユトレヒトにおけるカラヴァッジョの画風の展開
  4. ルーベンス作《キリスト昇架》と《キリスト降架》
  5. アントーン・ヴァン・ダイクールーベンス工房の助手として,イギリスの宮廷画家として
  6. 歴史画家レンブラントと《夜警》
  7. フェルメールと風俗画の世界ー図像解釈の問題をめぐる議論

第4章 フランスのロココ美術

  1. ル・ブランからロココ美術へー世紀末の歴史画
  2. ヴァトーの革新ー「雅宴画」の周辺
  3. 二つのコンクールーロココ美術とその批判
  4. 写実の系譜
  5. ロココから新古典主義

終章 イギリスとスペイン

 

記事の進行について

本書の順番とは異なり,

#12

#13

  • 第2章 フランスのバロックと古典主義
  • 第4章 フランスのロココ美術
  • 終章 イギリスとスペイン

の順で進行する。

 

 

序章

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ジョセフ・ライト・オブ・ダービー「太陽系儀について講義する科学者」(左)からは18世紀の科学礼賛と啓蒙主義の思想が見て取れる。一方で「賢者の石を求めてリンを発見した錬金術師」(右)では非合理的なものを主題に神的なものへの畏怖を示している。

 

バロックという用語は,由来には諸説あるもののいずれも「異質なもの」を指している。ラファエロをはじめとした盛期ルネサンスにおいては,バロックは否定的なイメージであった。しかしハインリヒ・ヴェルフリンが「ルネサンスバロック」などの著書で,バロックが固有の様式であることを示した。バロック様式カトリックによる対抗宗教改革において広く支持されることとなる。

 

一方で盛期ルネサンスに似たクラシック様式を取り入れたのが古典主義であり,ジョヴァンニ・バッティスタ・アグッキによりその理論が提示された。 ルイ15世統治下になり,大規模な古典主義からこじんまりとした室内装飾に注目するロココが成立した。絵画や彫刻を室内の装飾として従属させるのがロココの特徴である。

 

ロココが展開する18世紀中頃,知識人の間で古代ギリシア・ローマへの関心が高まっていた。ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンの著書「ギリシア美術模倣論」の主張をもととして,新古典主義が発達していった。

 

第1章 イタリアとスペインのバロック美術

カトリック改革において,カトリックにおいて視覚的イメージは聖書の言葉により近づきやすくするためのものであり,画像を積極的に取り入れた。例えばイエズス会ロヨラナダル福音書画伝」では,画像が教化と瞑想の有効な手段であることを示している。

彫刻家ステファノ・マデルノ「聖チェチリア」は祭壇から発見された聖女の遺体を大理石に写させたもので,物質的な現実を通して超現実を想像させる風潮の起点となった。

サン・ピエトロ大聖堂は,1623年よりジャンロレンツォ・ベルニーニにより再建された。そこではバルダッキーノやカテドラ・ペトリ,サン・ピエトロ広場などが建設された。

 

 

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カラヴァッジョ (左)聖マタイの召命 (右)聖パウロの回心

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの代表作

  • 「聖マタイ伝」:徹底的な写実主義,くっきりとした光の明暗
  • 「聖パウロの回心」:奇跡を示すものは書かれていない,倒れたパウロのみが天からの声を聞く(全てが脳裏で起こったこと?)
  • 「ロレートの聖母」:跪く人々が鑑賞者と結び付く
  • 「ラザロの復活」:影に隠れるキリスト,背後から指す強烈な光

 

カラッチの代表作である「豆を食べる男」は何の寓意もない風俗画であり,近代的な写実主義の幕開けといえる。以後ボローニャでは,ドメキニーノやグエルチーノなど古典主義とバロックが入り混じることとなる。

 

17世紀,ヴェネツィア美術は政治経済的凋落が響き衰退をたどっていた。その中で活躍した人として,ローマ生まれのドメニコ・フェッティ,ジェノヴァから移住したベルナルド・ストロッツィ,ドイツ人のヨハン・リスが挙げられる。

18世紀になるとトルコの脅威が消滅して平和な時代となり,文化国家として栄えた。例えばジャンバッティスタ・ティエポロオリュンポス山と四大陸の寓意」などが有名である。

 

その他の都市について

 

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(左)スルバラン「静物」(右)ベラスケス「ラス・メニーナス

スペインのバロック美術

 

スペインでは絵画のみでなく,彩色木彫も栄えた。代表作として,グレゴリオ・フェルナンデス「ピエタ」やフアン・マルティネス・モンタニェース「慈悲のキリスト」がある。

 

第3章 17世紀ネーデルラントの美術

オランダ共和国は1648年に独立国として承認された。このとき独立したのは北側であり,南ネーデルラントはスペインの支配下に留まった。北ではカルヴァン主義の改革派教会のみが公認の教派とされ,美術品の発注は無くなった。対照的に南ではカトリック信仰が保持され,イコノクラスムからの復旧の過程で多くの美術品が発注された。

 

ピーテル・ヤンスゾーン・サーンレダムは教会堂の内観の建築画を描いた画家として重要である。「セルトーヘンボスの聖ヨハネ大聖堂の内陣」では記録的な正確さが際立つ中,アブラハムブルマールト作「羊飼いの礼拝」が描かれているなどの変更点があり,かつてカトリックの大聖堂であったことを想起させる。

 

1620年代,カラヴァッジストと呼ばれる画家たちが注目を集めた。

  • ヘンドリック・テル・ブリュッヘン「聖マタイの召命(1618-19年頃のものと1621年のものがある)」「十字架のキリスト」
  •  ヘリット・ファン・ホントホルスト:「洗礼者ヨハネの斬首」

 

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ルーベンス(上)「キリスト昇架」(下)「キリスト降架」

カトリック圏の南ネーデルラントの画家,ペーテル・パウルルーベンスについて。アントウェルペン大聖堂にある「キリスト昇架」「キリスト降架」は地元市民や教会に求められて制作された。作品の人物像は生身の人体だけでなく,古代彫刻等の先人の作品をもとに形成したとされる。

ルーベンスの工房で助手として活動したいアントーン・ヴァン・ダイクは,1630年代ロンドンを中心に活動し肖像画家として人気を博した(代表作「聖アンブロシウスと皇帝テオドシウス」「王妃ヘンリエッタ・マリア」)。

 

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインはアムステルダムを中心に肖像画家として活動した。「夜警」(実際は日中の場面)は集団肖像画の中で動的な物語を導入した作品であり,その独創性が評価された。一方で画面全体を暗くして部分的に光を当てる表現は,当時としては時代遅れとされた。

 

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」 (左)全体 (右)足温器

ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」について,性的な欲望が暗示されているという解釈がなされてきた。描かれた女そのものからは恋愛感情は微塵も感じられないが,足温器やクピドなど恋愛にまつわるモチーフが描かれている。これを例として,17世紀ネーデルラントではイメージが鑑賞するものにどう受け取られるかが意識された。

 

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