読書の思い出について(読書メーターの年間ランキングより)
本記事について
本記事は私の読書の思い出について,読書メーターの年間ランキングより記録していく。読書メーターは読書コミュニティサイトで,読んだ本を記録するのに便利である。私は使い始めて7年目に入っているが,どんなものを読んできたかがわかるのって,やっぱりいいなーと思う。
今回は本当にどうでもいい話なので,気軽に見てもらえたらと思う。
2013年
読書メーター1年目。ランキング自体は2014年にその存在を知ったので,後から作成したものではある。
当時はライトノベルを中心に模索しており,その中でもいくつかいい作品に会うことができた。特に時雨沢恵一「キノの旅―The beautiful world」は寓意に満ちた名作だと今でも思う。バカ全開の朽葉屋周太郎「おちゃらけ王」もよい。
恒川光太郎「夜市」は,著者のデビュー作ながら第12回日本ホラー小説大賞大賞受賞,第134回直木賞候補となった作品である。以下当時つけたレビュー。
これは再読(記録をつける前に読み終わった)だが、今でも初めて読み終わったときの衝撃を覚えている。「これって本当にホラー小説なのか?むしろファンタジーに近い」と。刺激的なホラーではなく、冷んやりとした畏怖を感じさせるホラーなのだろう。短編2作ともに、異世界へ迷い込んでしまうところから始まる。その世界には、その世界のルールがあり、それに従わなければならない。そして、その世界は美しい、、なんかこれを読んでいると風鈴の音が欲しくなる。
2014年
読書メーター2年目。スマホでの見た目がいいことを理由に,ランキングでは9作品に絞ろうと決めた。
主にライトノベルの境界線を探った年だと思う。野崎まど「know」や米澤穂信「氷菓」,西尾維新「化物語」など。単にジャンルにとらわれるのでなく,何が言いたいのか,という点が重要だと思う(ジャンルは型に過ぎない)。
ここで野崎まど「know」に対するレビューを。
生きたい。知りたい。人間とは、そういうものなんですよー近未来、情報化の進んだ世界。そんな中、知の極限に最も近い知ルは人類史上最難関の問題に挑む。といっても、それを巡る戦いは激しいものではなく、禅問答のようなもの。それでも知の気迫が伝わり、かつ展開がなかなか読めないために一日中読み続けていた。ーそれにしても、もし「知の極限」に辿り着いたらどうなるだろうか。いや、それはあり得ない。「知」だって時間の進行と共に拡張しているのだから。だから、人間はみんな知りたがり屋。
......今,改めて読み直すべきかもしれない。読み返して,同じことが言えるかどうか。
2015年
読書メーター3年目。
少しずつ純文学の割合を増やした年だと思う。今まで読んだ村上春樹作品のうち,好みにあったのは「ねじまき鳥クロニクル」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。確かこの年で舞城王太郎を知る。「煙か土か食い物」は読んでいて面白いと素直に思える作品である。
この年1位の伊坂幸太郎「マリアビートル」のレビュー。
傑作。新幹線の限られた空間が最大限に生かされている。更にキャラクターの入退場の仕方が巧み。最後は誰が勝つのかと気になっていて、その落とし所も上手いなあと思った。/「グラスホッパー」と併せてオススメしたい作品。
2016年
4年目。
メインを海外文学へとシフトし始めた年。カミュ「ペスト」やスタンダール「赤と黒」,ヴォルテール「カンディード」など,特に意識はしていなかったが仏文学が多めか。
この年の1位はかなり迷ったのを覚えている。宮沢賢治「銀河鉄道の夜」か伊藤計劃「ハーモニー」か。どちらも素晴らしい世界構築であった。
レンズ越しに銀河を見る者もまた,銀河を抱えている.無数の宇宙が,ここでは一体となって共鳴し合う./多方向の知識と独自の哲学が凝縮された短編集.解こうと思えば「難解」であるが,おそらく解かれることを前提にはされていない./物語(ものによっては寓話)と現実との深いラグが,読者に空白感を与える.この塩梅が天才的.
2017年
5年目。この辺りから「Guardian's 1000 novels everyone must read: the definitive list」の読破を意識するようになった気がする。
変態というか,倒錯にはもとより興味があり今に始まったことではない。バタイユ「眼球譚」はおそらくエロティシズムの極致(まだ分かりきってはいないが)。
読むと頭がおかしくなると言われている夢野久作「ドグラ・マグラ」はなんだかんだ面白く,何度再読しても新しい発見に満ちている作品。むしろ頭がおかしくなるのはキャロル「不思議の国のアリス」の方では?あれはマジでわからん。
プルースト「失われた時を求めて」は月1巻ペースで少しずつ読み進めた。理解に苦しむことも多かったが,様々な切り口から俯瞰できる名作だと思った。あまりいいレビューではないが,全13巻分掲載する。
1:五感として無意識に処理された事象を,「言葉」に変換した小説.小説として当然のことかもしれないが,それを顕在化させたことに意義があるのだと思う./文章のスタイルが音楽に近い気がする.
2:真の3次元を意識できる文章./一段落一文章が長いだけに,巻末の索引は本当に助かる.
3:時折挟まる作者自身の芸術観にハッとさせられる. 酔いを呼ぶような美文の中であるから尚更である.
4:イメージの奔流. 作者の思想が明確に現れている文章は少し腰を入れて読もうと思っている, のだがそのうち忘れそうだ……
5:夢想, 期待からの失望, 幻滅が繰り返される. /スノッブな貴族達は遠いようでとても近い存在のように思う. ドレフュス事件に対するコメントの多くが彼らの不勉強ぶりを晒す.
6:長い長い悪口大会. けれども読んでしまう, 時間の無駄とは思わなかった. 特に大きな動機はないが, なんとなく, 先を読みたくなる作品.
7:ここにきて同性愛の暗喩が浮かび上がってくるが, 雰囲気自体はあまり変わらない. 知覚できるかスレスレ程度の沈降.
8:p590「祖母の死んだことを知ったのだった」/べつにネタバレではない, 祖母は6巻あたりで既に死んでいる. ここにきて知ったというのは今更のように思うが, どうも本作では見ることと知ることは別物らしい. 突如蘇る記憶. 喋れば薄っぺらくなり, 考えれば迷子になるのも本作ならではの空間.
9:私の表象が意図的に隠されることにより, 存在自体がふわふわしたような印象を受ける. キャラクター化する決定打が欠ける. /やはりどう頑張っても要約はできない. 同性愛, 社交界……いや確かにそうなのだが, そのような「固定化」を本作は阻んでいるのではないか?と思う.
10:ここにきて序盤のモチーフが繰り返される, いよいよ佳境か. また巻を追うごとに芸術批評の性質が強まる. /表面的な意識は時間とともに消えるが, どうしても習慣は隠せない(例えばp255 me faire casser).
11:過去は失った途端に意識の中で引き延ばされる. しかし, 残酷にも時は忘却をもたらす. 指標を求め苦悩する姿が全面に現れる巻だった.
12:第一次世界大戦に対する各人のリアクションから, 総まとめとしての芸術論, 創作論へ. p430「文学作品のすべての素材は, 私の過ぎ去った生涯であるということを」をはじめ, 創作者のみならず鑑賞者にとっても刺さる言葉が多い.
13:読後, 静かなよろこびに支配された. それは物語を終えたこと, 1巻から続く流れを感じられたこと, そして, まだまだ見出せるものがあるということに対して. おそらく再読するときには, 時の作用を一層感じることだろう.
2018年
6年目,特に英米文学を意識して読んだ気がする。 文学でのあたりが少なかったので,試験的に教科書をランクインしている。
宮崎駿「風の谷のナウシカ」は,映画と全く印象が変わった記憶がある,断然原作の方が良い。漫画でのランクインは初。
トウェイン「ハックルベリー・フィンの冒険」はアメリカ文学の開闢を告げる作品である。
上:ハックの印象的な語り. /p271ジムは本当に自由になるんだってことが頭ん中ではっきりわかってきたから. で, それは誰のせいかっていうと, おいらのせいだから. そのことがどうしても良心にひっかかって, どうしようもなかった. /p346おいらとジムはあおむけに寝ころんで星を見上げて, あれは誰かが作ったもんなのか, それとも自然にできたもんなのか, って話しあったりした. 〜ジムは, お月様が産んだのかもしんねえぞ, って言った. それはあるかもしんねえと思ったから, おいら, 言い返さなかった.
下:偽物を偽物であると看破し, 自らのあるべき姿を求め冒険するハック. p164「いいや, おいら, 地獄に行く」という言葉による, 偽りの良心からの決別がとても印象深い. これは彼の熟考たるものだろう. 彼を前にすると, 英国人の真似をして荒稼ぎに走る王様と公爵, 本の真似をして大胆な冒険に走るトム, その他諸々の人々が小さくみえる. ハックの決然とした態度はまた, アメリカ人のアイデンティティ探求を思わせるところがある. 本作からアメリカの源流を見出そうとすることは無理もないことだ.
2019年(暫定)
7年目。さて今年はどうなることやら。