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キリスト教史 全11巻の感想まとめ

2018年に1年かけて読了する本として,「キリスト教史」(平凡社ライブラリー)全11巻を選び,月1冊ペースで読み進めた.以下に各巻ごとのレビューを記録しておく.なお,それぞれ文章の様式が異なるが,自身の記録のため原文のままとする.

 

第1巻「初代教会」

読了日:2018/01/10

レビュー:グノーシス派やギリシャ哲学に対し, 正統とは何なのか, 考えながら読み進めた. 今後, 事典として各論ごとに読み返す予定.

 

第2巻「教父時代」

読了日:2018/02/11

レビュー:最後のページからの引用で, 本書の範囲をまとめる. /[古代: 地中海中心, 東方教会とラテン教会との対話, 対立]→[ケルト人と大陸の人びととの交流, ゲルマン人とローマ文明に俗した人びととの対話]→[中世(次巻以降の範囲): 北方へ移行, 大陸中心]

 

第3巻「中世キリスト教の形成」

読了日:2018/03/14

レビュー:この辺までくると教会史は西洋形成と重なってくる. 教皇と皇帝の対立, 神学論争, 修道院の発展などに注意しながら読み進めた.

 

第4巻「中世キリスト教の発展」

読了日:2018/04/13

レビュー:最終章にある本巻の要約よりメモ: 東西両教会の恒久的な分裂による取り返しのつかない損失/教皇の至上権獲得による君主制的な支配体制の確立/哲学を基礎とした神学の体系化, のちに破綻/スコラ学で育った人々の希薄な福音精神/中世後期の教会の弱点弊害 1.富 2.世俗との関わり 3.熟練な聖職者の不足/中世に生まれた大学, 一般修道会や托鉢修道会, 建築や美術は今も残っている

 

第5巻「信仰分裂の時代」

読了日:2018/05/22

レビュー:第6章 16世紀末のキリスト教とその人間像より引用/ p409「16世紀の人間の精神の中では, 世界の異なった様相が自然に統一性を帯びるといわれている. つまり彼らにとって俗なるものと聖なるもの, 世俗と聖職, 現世と超自然は互いに絡み合っていた」p446「教会の将来と, 次の世代において教会が示す姿勢を理解するために最も重要なことを一言で言うならば, それは宗教の公的様式と個人的信心とのあいだに見られる乖離だろう」

 

第6巻「バロック時代のキリスト教徒」

読了日:2018/06/17

レビュー:p287 17世紀の初頭から末期までのあいだに, 信徒たちの信心生活には根本的かつ急激な変化がないように見えるとしても, 神学, 霊性, 信心形態のうちには, 重大な結果を後にもたらした進展が認められる. それは簡単に言ってみれば, 神秘主義からモラリズムへの傾斜とでもいうべきものである. /p446 井上(筑後守政重)の政策は, 殉教者ではなく背教者をつくるという心理方針にもとづいていた.

 

第7巻「啓蒙と革命の時代」

読了日:2018/07/23

レビュー:18世紀の多くの人々にとって,宗教というものはもはや信条の問題であるというよりも,むしろ国家と教会の結合によって生ずるいろいろな圧力に服従し,社会の解体を防ぎつなぎとめているもろもろの伝統や規範や約束に自分を合わせて生きるという問題でしかなかったのである.(p18)/トリエント公会議からウェストファリア,ピレネーの両和約までの時代は,一言でいうなら,反宗教改革の時代であった.(p78)

 

第8巻「ロマン主義時代のキリスト教」」

読了日:2018/09/18

レビュー:ドイツのプロテスタンティズムは知的な運動の先頭に立ったのだが,社会事業の領域では,より実際的で,産業革命の成果により直接的にぶつかったアングロ=サクソンが,未来に向かってしばしば最も独創的で最も豊かな実を結ぶ作業に先鞭をつけたといえよう.(p166)/18世紀の合理主義がキリスト教こら引き離していたエリートの一部を,再びキリスト教に連れ戻す動きがあったことは否定できない.(p325)/ナポレオン・ボナパルトは近東への進出に失敗したが,しかし彼の遠征はこの地方のその後の運命に影響を与えた.(p376)/このような「踏絵」は単なる物質で,いわば偶像であるから,ただある踏石や踏板と同じように思って踏めばよいと,現代の人はよく言うのだが,キリシタンにとっては,けっしてそんなものではなかった.この絵踏みは,信仰告白を意味するものであり,聖画像を踏む行為はキリシタンの信仰を否定するしるしであって,政府側からもその意味で要求されていたのである.(p439)

 

第9巻「自由主義キリスト教

読了日:2018/09/26

レビュー:p237 (19世紀について)「何世紀ものあいだ,それに比肩しうる霊的<復興>はなかった(ダニエル・ロプス)」という言葉にも頷けるのである./p340 回勅「パスケンディ」以来,キリスト教民主主義近代主義という九頭蛇の頭の一つであると告発され,<社会的近代主義>と<政治的近代主義>は,キリスト教民主主義に反対する者にとって,宗教的近代主義の一つの帰結と映じたのである./p426 近代主義モダニズム)という単語は~19世紀のある種のプロテスタントたちによって~初めは近代世界の反キリスト教的傾向を,次いで自由主義神学者たちの急進主義を意味するようになった.そして19世紀から20世紀の曲がり角に差しかかったカトリック教会の中で,教会を近代の要請に適合させるために教会とその教説の改革を求める運動の火の手が上がったとき,その運動の反対者たちが,自然発生的にこの運動のことをモダニズムと呼ぶようになった.

 

第10巻「現代世界とキリスト教の発展」

読了日:2018/10/29

レビュー:p380 こうして20世紀半ばには,ラテン・アメリカの知識人のなかに,自由主義実証主義が地域の文化的,経済的環境には非常に不適当であると認めないものはほとんどいなかった.これらのイデオロギー的・経済的運動が,聖職者の反対者が予告していたような多くの行き過ぎや弊害を生み出したかとはまったく明白であった./p396 全体としてみれば,探検はこのような布教を含まれておらず,その目的は,本来,学術的なものであり,やがて政治的,経済的なものとなった.しかしながら,探検は,それまでほとんど知られていなかった地域や民族に対する関心を起こさせ,~そうした関心,衝撃が,キリスト教徒の良心に対して,当時<外国布教>と呼ばれていた運動を助成するための切実な訴えかけとして反響を呼んだのである./p511 明治はまさに「キリシタンの復活」の時代であった.密かに守り続けられてきたキリスト教信仰を求めて,パリ外国宣教会の宣教師は,日仏条約が締結されるや,フランス総領事館付司祭兼翻訳として来日し,キリシタン時代から潜伏して生き続けてきた隠れキリシタンを復活させることができた.

 

第11巻「現代に生きる教会」

読了日:2018/11/28

レビュー:p218『ヨハネス23世は,公会議の開催にあたって,深い感銘を与える演説を行った.その中で彼は,断罪を重ねようとする体制完全保存主義的傾向に警戒をうながし,今回の司牧的公会議の特色たるべき教会一致的展望を想起させたのである.』/p410『教会史の面からみて,この会期(1965/9/12~11/21)の最も重要な点は,疑いもなくローマ教会とコンスタンティノープル総主教座とのあいだで相互に破門を解いたことである.』/p437『(1980年代~)日本に関してはこの植民地政策との協力などという面はまったくないどころが,まさに宣教師の主目的である邦人司祭,修道者,信徒の養成に命を賭け,自らを律していく宣教師魂に徹した男女の宣教師を迎えており,日本の教会は彼らがいかに感謝してもし尽くせない恩恵を受けていることを忘れてはならない.』

 

まとめ

2018年,キリスト教の流れを追うためにシリーズを一通り読み終えた.キリスト教を理解することは文学作品や現代社会を考えるうえでも重要であり,今後も勉強を続けていきたい.