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「西洋美術の歴史」要約メモ #10 第5巻序章〜第3章

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第5巻の概要

 

西洋美術の歴史5 ルネサンスII - 北方の覚醒、自意識と自然表現

西洋美術の歴史5 ルネサンスII - 北方の覚醒、自意識と自然表現

 

 

序章

 

第1章 カール4世とボヘミアの美術

  1. 人皇帝カール4世
  2. 神聖都市プラハの創出
  3. ボヘミア王家宝物の創出
  4. 神聖化の手段としてのコピー
  5. 国際芸術都市プラハ

 

第2章 パリの写本工房

  1. シャルル6世治下のパリ(1380〜1422年)
  2. パリの写本彩飾挿絵工房と写本マーケット
  3. きらめく色彩ー写本彩飾の色材と技法
  4. パリ写本の黄金時代
  5. 光と色彩をめぐる北方的言説の誕生

 

第3章 レアリスムに向けて

Ⅰ 宮廷画家ヤン・ファン・エイクー油彩画技法完成への道

  1. ファン・エイク兄弟の生きた都市
  2. ヤン・ファン・エイクの史料ー油彩画技法完成までのプロセス
  3. ヤン・ファン・エイクの絵画技法
  4. 作品創造の現場
  5. 法研究の先にあるもの

Ⅱ 写実表現と自意識の目覚め

  1. 契約文書の有無ーイタリア対アルプス以北
  2. 祈りの慣習と時祷書および開閉式祭壇画
  3. 扮飾肖像から自画像へ
  4. 鏡と自画像

 

第4章 人間と自然

  1. 15世紀後半のネーデルラント絵画の展開
  2. 美術市場と需要
  3. 16世紀ネーデルラント絵画の潮流
  4. 風景と人間の対峙

 

第5章 南北交流

  1. アルプスの北から南への美術の流れ
  2. ヤン・ファン・エイクとイタリア
  3. イタリアにおけるロヒール・ファン・デル・ウェイデンの残響
  4. フィレンツェにおけるフランドル絵画の流行
  5. ファン・デル・フースのポルティナーリ祭壇画
  6. 芸術家の旅の類型,ジャン・フーケの場合
  7. ヒエロニムス・ボスはイタリアに旅したか
  8. ネロの黄金宮の廃墟を訪れた16世紀のネーデルラント画家たち

 

第6章 デューラーの悩みードイツ美術にとっての美と醜

  1. デューラーの自画像
  2. 名声のメカニズム
  3. 「ドイツのアペレス」としてのデューラー
  4. ドイツ美術はなぜみにくいかーデューラーの悩み

 

第7章 アルプス以北16世紀の宮廷と美術

  1. ドイツの宮廷美術と人文主義
  2. 名声のメディアとしての肖像画
  3. 宗教改革前後の宮廷と美術ーオーストリアのマルガレーテの場合
  4. フランス王の宮廷と美術
  5. ミュンヘンプラハの宮廷と美術

 

序章

1400年頃のヨーロッパでみられた「普遍的なゴシック性」は,プラハ神聖ローマ帝国カール4世の宮廷やミラノのヴィスコンティ家宮廷などとの密接な交流の中で生じたとされる。

 

フランコ=フラマン画派は自然主義的な表現の達成のため「色彩的遠近法」を支える技法の研究に取り組んでいた。これは後のヤン・ファン・エイクのフランドル絵画にみられる写実表現のもとともいえる。15世紀前半から,フランドル絵画はイタリア商人の手で流通されることとなる。

 

アルブレヒト・デューラーは「絵画論」「人体均衡論四書」などの理論的著作で有名である。デューラーは2度のイタリア滞在を通してイタリア絵画を吸収して,北方ルネサンス美術を牽引した。

 

第1章 カール4世とボヘミアの美術

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チェコ大聖堂

神聖ローマ皇帝でありボヘミア王であったカール4世は,プラハにおける美術の発展に重要な人物である。カールはドイツ王の選出の安定や法典「金印勅書」発布などで名を残している。

カールは1356年に建築家ペーター・パルラーを呼び寄せ,プラハ大聖堂の建築を指導した。またプラハ大司教区に昇格するにあたり,「聖ヴァーツラフの王冠」を作らせた。

 

戴冠ののち,プラハを一大神聖都市とする都市改造に着手するようになった。カールは聖遺物を宗教的,政治的に有効な手段として捉え,積極的にその収集に取り組んだ。統治初期においてはいくつかの聖遺物容器の製造に関わり,1350年以降には帝国宝物の入手により本格的にプラハの神聖化を行うようになった。

 

カールが1354年から60年にかけて入手した聖遺物から,ボヘミア王家宝物を築き始めた。更に1357年と1370年にこれを収める十字架型聖遺物容器を作らせた。

カレルシュテイン城はかつて帝国宝物が保管されていたとされている場所である。城は1356/57年頃に完成したとされるが,後に聖遺物保管のために大きく改造された。

 

プラハ大聖堂南扉口にあるモザイク画(最後の審判)は,ローマ訪問から戻ったカールが専門家を招聘して制作させたものとされる。中央に描かれた再臨のキリスト像の上部にあるヴェロニカには,現存していないが左右に受難具(アルマ・クリスティ)が描かれていたとされる。

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カールの死後ヴェンツェルの時代になると,皇帝様式は衰退して「美しき様式」がボヘミア美術の中心となる。(例:ヴィッティンガウ祭壇画「キリストの復活」)

 

第2章 パリの写本工房

当時のパリにおける写本工房と写本マーケットについて。公的には大学宣誓書籍商による独占体制であったが,やがて幾人もの商人たちが書籍業に参入し競合するようになる。この頃の写本に例えばジャック・ラポンディがプロデュースした「名婦列伝」やランブール兄弟「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」がある。

 

物理・化学的調査により,「ブシコーの画家」をはじめとしたパリ写本工房の彩色法が明らかになりつつある。ブシコーの画家の技法として,新しいタイプの新色形成,3つの驚異的彩色法(色の隣接・対比,連合,重置),グラシの開始が挙げられる。

 

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(左)「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」より「10月」 (右)「ブシコー元帥の時祷書」より「聖母のエリサベツ訪問」

以下代表的な写本について

  • ランブール兄弟「ベリー公のいとも豪華なる時祷書
    」(1411-15年頃)ー蔓葉装飾の放棄,アカンサスの小枝に絡まる幻想動物
  • ブシコーの画家,マザリンヌの画家「ブシコー元帥の時祷書」ー空気遠近法,意味を増す褪色
  • 聖母戴冠の画家ー現代性の探求
  • 貴婦人の都の画家

など

 

フランスとイタリアのユマニスムの比較。

  • イタリアー人間および人間をめぐる領域に限定,アリストテレス思想の排除,人間の発見としてのルネサンス
  • フランスー古代学芸スキエンティアが土台,異教的自然の学が根付く,自然科学的

  

第3章 レアリスムに向けて

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自画像 「赤いターバンをつけた男の肖像」ヤン・ファン・エイクは瞳の虹彩の描写に取り組んだ先駆者とされる,当時自画像は凸面鏡を通して描かれた点に注意

ヤン・ファン・エイクと兄フーベルトの生涯と作品についての考察。

 

ヘントの祭壇画以前(1410-32年)

ノーフォーク祭壇画などのファン・エイク芸術を予見させる作品,「トリノ=ミラノ時祷書」や「ニューヨーク二連板」が重要

 

ヘントの祭壇画の完成期(1430-32年)

「イザベル・ド・ポルトガルの肖像」「ワシントン受胎告知」など

 

ヘントの祭壇画

兄弟による作品,フェイト夫妻とその先祖の魂の救済のための祈りを目的とする

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ヘントの祭壇画 (左)閉翼時 (右)開翼時

 

ヘントの祭壇画完成後(1432-41年)

「アルノルフィーニ夫妻の肖像」「宰相ロランの聖母」「ファン・デル・パーレの聖母子」など

 

下絵素描についての兄弟の比較(アルベール・シャトレの評より)

  • フーベルトー三次元的明暗の絵画的翻訳→彫塑的写実主義
  • ヤンー微細なハッチングによる光の役割の強調,線の簡潔で自由な動きによる毛髪の想起→表層および深層の写実主義

 

ヤンの油彩技法について

絵具の重ね合わせによる光学的効果,光を反射する物体の描画,表面効果において最後に描き入れられる光学的表面,等々

 

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